まっきぃ よりメッセージ

私は小児喘息を克服するために、6歳より体操競技を始めました。今では想像もつかないくらいの消極的な性格で身体を動かすことは無縁でした。
この体操競技との出会いが今の自分を創ってくれたと思います。硬い身体を泣きながら必死で柔軟した毎日。友達よりも反応が悪く、練習の場よりも
家の努力の時間が記憶に残っています。積み上げたお布団に向かって、思い切ってブリッジを何回もして成功した瞬間。誰もいない公園で手のひらに血だらけのまめを作りながらも練習した鉄棒。逆立ちを自力で一分間静止することができたあの瞬間。平均台を田んぼの中にある水路の柵に見立てて、
練習したこと。床運動の動きの練習をアスファルトの上でしていたこと。何もかもが好きなものを純粋に追いかけていた瞬間です。
そして22歳まで大好きな体操を続ける中で、怪我との戦いは忘れられません。初めて怪我を知ったのは7歳の時。平均台の上でバク転という後ろの逆立ちしてひっくり返る技をしたとき、右手の手のひらが自分の方に向いたままついてしまい、ボキッと音がしました。7歳ながらにとっても痛かったのですが、大好きな体操の練習を続けたくて、我慢していました。第2・3中手骨骨折だったのですが、病院に行ったときには殆ど骨折部位は癒着していて先生が驚いていました。

大学最後の試合で、段違い平行棒の離れ技を持ち損ない、右肘から落下しこのときもボキっと音がしました。試合中だったのでやめたくなかったこともあり演技は全て続行しましたが、病院にいくと、右肘内側側副靭帯完全断裂と内顆骨折ですぐに手術となりました。自分でもかなりの痛みの中、よく続行したなぁ〜と思いますが、心から体操競技が好きで好きでたまらなかったんだなぁ・・と今思います。
この怪我の歴史はほんのエピソードにすぎませんが、わたしはなぜこんなに怪我をするのだろう・・とずっと思っていました。怪我に無縁の選手もたくさんいます。なにか原因がある!漠然と思っていました。
引退試合の時、自分を表現するこの舞台は最後なんだという寂しい思いと、いくつかの怪我を克服できたことに感謝していたことを覚えています。生きていると、ターニングポイントが節目節目に訪れると思いますが、この引退の時間は忘れられない瞬間でした。

体操で出会った仲間・先生・苦しい時もずっと見守ってくれた家族に心から感謝して、私の経験を少しでも生かせるようなものに出会いたいと思いました。そして、ずっと見守ってくれた母の顔を見たときに、感謝の気持ちと、あ〜こんなの心配をかけていたのかという気持ちとこみ上げてきて、怪我をしない様な身体作りのお手伝いを、私はできるかもしれないと強く思いました。経験からしかわからないことってあります。怪我をした時の身体の痛みはもちろん、やはりこころの痛み・・。経験したものにしかわからないもの。たとえば、怪我をした瞬間の鈍い感触。 ギプスを巻かれて自由が突然に奪われたときのショックとあきらめ。怪我をしたのは一部分なのに他の部分まで元気がなくなってきたり。本当に復帰できるのかという不安。かゆさとの戦い・・・などです。 悪いことばかり考えていても何も始まらない!ここでわたしが得たものは、 「ただでは起き上がらないこと」「想いはかならず叶うと信じること」でした。そして、意味のないことは起こらない(^_^) すべて自分に必要なことで意味のあることで、感謝して受け止めよう。と思うととても穏やかに奥の方からパワーが出てきました。落ち込んで不安なことばかり考えていても前に進まない。怪我をした部分は動かないけれど、なんともない部分は今までよりももっと見ることができる!怪我が治る頃には今よりパワーアップだ!いきなり与えられた入院という自分だけの時間。初めは発狂しそうなほどに退屈だだったけれど、自分だけのプラチナな時間と思えば、たくさんできることはある!自分を見直す時間、大切な人を想う時間、身体と向き合う時間。いつも退院したことを想像して、いいことだけをイメージしていました。だから、突然の怪我・入院・手術をしなくてはならなくなった人の気持ち、私は真からわかります。

このわたしを生かせることを見つけたい!

そう願っていたからこそ、ピラティスと理学療法に出会えたのかなぁと心から感謝しています。

*出会いは宝物* 素敵な時間をご一緒できますことを楽しみにしております。